IT社長 海外でハワイで脳出血(脳卒中・脳梗塞)海外旅行傷害保険で支払い。現在 福岡市在住脳梗塞患者
再生医療(サイトカインカクテル法)+リハビリ病院入院の効果【ハワイ脳梗塞者サイト】
<脳卒中・脳出血・脳梗塞とは?>
くも膜下出血、脳内出血(脳溢血)、脳梗塞の3者を総称して「脳卒中」と言います。これは文字通り、「突然発症」することが大きな特徴・原則です。現在脳ドッグなどの予防的医療の発達により無症状なものが発見されることはありますが、それは決して全てがそうなのではありません。だから救急車で搬送される患者さんも多くいるということになるのです。
脳卒中とは、急性期脳血管障害のことを指し、突然脳の血管が詰まったり、破れたりして引き起こされる病気の総称です。脳の血管が詰まって血が通わなくなり、脳の一部が死んでしまうものを脳梗塞といいます。脳の血管が破れて出血するもののうち、脳の内部にある血管から出血して脳が壊されるものを脳出血(脳内出血)、脳の表面にある血管(動脈瘤)から出血して脳表が血液で覆われてしまう疾患をくも膜下出血といいます。
脳卒中は以前よりは減ってきましたが、いまだ日本における死因の第4位であり、国民病の一つと言えます。血圧管理が良好となるにつれて脳出血の患者さんが減少し、高齢化や食生活の欧米化が進むにつれて、脳梗塞の患者さんが増えてきました。
「医療法人社団曙会 流山中央病院 脳神経外科」より
<自己紹介>
覚田義明(男性・既婚・子供13歳・58歳)福岡市愛宕在住(2022年3月)
福岡で起業したのは25年前。自宅で始めた会社は、マーケティングの会社で、がむしゃらに働いているうちにスタッフやお客様に恵まれ、気づけば売上34億円以上、スタッフも140人になった。東京と福岡、海外にも拠点ができて、僕がいなくてもまわりだけで回るようになった。私はまた新しい道を模索し始めた。海外に住んで自分のやってきたマーケティングを活かして海外でのビジネスを研究したい。日本人観光客へのビジネスをしているハワイなら、と、家族と秘書と共に移住した。「移住&仕事」で、遊ぶためではなく家族で、グーロバル化と、いうイメージだった。
ハワイでは、海の見える高台のプール付の家に住んでみて、最高だった。ハワイに世界中から人が集まる理由がよくわかった。「素晴らしい気候と自然と人」と、素晴らしい場所だ。
息子も現地の学校に通いサッカーチームに入ってなじんでいた。そのチームで、ハワイで優勝した。僕はいろんな人に会ってインタビューをして、1年でハワイのよさや逆にもっとこうだといいのに、というものが見えてきた。
ハワイでも対日本へのビジネスでの相談が増え、ハワイでのコンサルの受注ができた。ハワイの雑誌にも掲載され、ラジオにも出て、作ったサイトは、今でも効果が引き続け、改めて、自分のマーケティングの凄さがわかった。(自画自賛)
ハワイで私も役立つことができそうだった。
いよいよ、ハワイに全く新しいマーケティングの仕掛けができると言う矢先に、なんとハワイの自宅で倒れてしまった。脳出血だった。
元々、高血圧で血圧が高く、「降圧薬」をもらった。が、「一度飲むと、一生飲まなければならない」という医者の話に飲むことをためらってしまった。(本当は、そんなことはない。)結局、その医者の嘘に脳出血を起こし、そして今、「降圧薬」を毎朝飲んでいる。それなら、最初から飲めばよかった。後悔は続く・・・
ハワイで脳梗塞(正確には、脳出血)で、救急車で運ばれて病院へ。しかもコロナでハワイは、ロックダウンして2週間ほどだったので周りはピリピリしていて、もちろん誰とも面会もできなかった。
私は、英語が全くできないので、ハワイでの入院や転院したリハビリ病院でも大変。意思疎通ができないままひとりベッドにいた。
天国から地獄だった。・・・ こういう時に使うのだろう。
ハワイで、何の前触れもなく、突然 脳出血で倒れて
救急車で運ばれた。(2020年4月6日)
ハワイ1の病院に緊急入院した。
結果「ICU」に入った。
ハワイに移住して、1年半ごろだった。
「ICU」から一般病室に移った頃。(2020年4月16日)
出血箇所は「脳幹」の「橋」と、呼ばれるところだった。
でも生きていた。
あとからわかったがこの部分の出血で「動いている人は少ない」と言われる。死ぬか、寝たきりになるという意味だ。
だけど、僕は生きていた。動けている。
費用は、海外なので、莫大だった。
「ICU」:ハワイでは、一泊1万ドルもするらしい。(一泊150万円以上だ。)そしてドクターの費用は、別途請求される。
通常の部屋やリハビリ病院も恐ろしく高い。
運よく、アメックスカードの「海外旅行傷害保険」で払えた。
最初、妻はドクターとオンラインで話したときに「人工呼吸器」が外せないかもしれないと言われたそうだ。そして。新たな「人工呼吸器」を、喉につけないとダメかもしれない。もし、つけたら、息もできないし、水も食べ物も一生食べれない。
結果、断ってくれて、今、無事に、食べれている。
当時、常に顔や口がが痺れて、気持ち悪かった。
手も痺れている。
喋っても、ロレツが回らず、妻以外は、コミュニケーションが取れなかった。翻訳機も認識しないし、アレクサも、反応してくれない。小さな声が出せない。とても、孤独だった。
頭は、ボ〜として、何も思い出さない。
難しいことは、考えられない。
ナースコールのボタンも押せない。
水も飲めない。そればかりか、
痰が絡んで、いつも、吸入器が必要だった。
妻と息子の電話番号を、ノートに大きくメモした。
だけど、自分で書いたメモも、自分で見ても読めない。意味がわからない。
メモもぐちゃぐちゃちゃで、本当に辛い状態だった。
意識は、あるが、何もできない。
本当に辛い。
今、私は、目も見え、聞くことも、話すこともでき、
思考もしっかりしていて、記憶があり、食事もできて、セミナーもでき、コンサルもできる。
好きなものを食べられる。お酒も飲める。脳出血後、FIRE(ファイヤー)したので、不自由なく、普通の生活ができる。ある意味「自由」だ。
本当にラッキーなのだ、ありがたい。
運がいい。
でも・・・病院では、コロナで、家族にも会えず、
事情もわからず、大変辛い思いをした。
私の最大の障害は、嚥下ができないことだった。
最初、水も飲めず、点滴のみで栄養をとっていた。
その後、「胃ろう」になって、胃に直接液状の栄養を流し込むことになった。
最初水が飲めなかったので、水分も「胃ろう」から取っていた。
その後、練習のため、水にとろみをつけて、小さいスプーンの半分の水を、口から少し飲むようになって、
だんだん、慣れていき、増やしつつ、上記が最初の食事。
常に看護師さんが横につき、長い時間をかけて食べさせてもらっていた。
今では、なんでも食べれるし、水もゴクゴク飲める。
それにしても、私は英語ができないので、急性期の入院中やリハビリ施設の入院中、とても辛かった。
最初の頃は、トイレもとても大変だった。1人ではトイレができなかったからだ。
当時ベットから、起き上がることもできないし。歩くこともできない。
そこで、僕がトイレの合図の「ナースコール」をすると、看護婦さん同士の合図が始まり、3人のナースが病室に飛んできてくれる。
そして、3人がかりで、立ち上がれない僕を、抱えて、車椅子に乗せ、短い距離の病室のトイレに連れて行ってくれる。トイレに着くと僕を便器に座らせてくれる。
3人がかりなので、オチオチ呼べない。
なので、我慢して、「もう、漏れる」と言うときに呼ぶ。
自分では、ズボンとパンツが下ろせないので、1人のナースが、ズボンとパンツを下ろしくれてスタンバイ。これが恥ずかしい。
おしっこの量を測るために、便器に座るけれど、便器に透明のボールをセットして、その中に、おしっこをする。そして、毎回のおしっこの量を測られる。
その間、ナースの1人が、僕が転けないように、じっと、僕をみている。
女性に見られながら、おしっこをするのは、難しい。
しかも、出ないと、水道の蛇口を捻って、水を出す(水の音を聞くと出やすいのだ)
ナースが英語で何かを言い始める。
きっと、おしっこが出る、おまじないだ。
まるで、子供のようだ。
が、しかし、おしっこが出ない。
これが、苦しい。
出そうと思うと、思うほど、出ない。
これが辛くて、辛くて、苦しい。
これが、何回か続くと、
「嘘はダメ」と、ナースに注意される。
そして、しまいには・・・
「次、出なかったら、尿道カテーテルする」
と、言われて、
僕は、必死に、おしっこを出す。
この時の僕の精神統一は、「スゴイ」。
まるで、悟った仙人のような状態だ。
結果、無事、おしっこは出せ続けれて、日本に帰るまで、「尿道カテーテル」は、
されなかった。
★「尿道カテーテル」とは、尿を外に排出するために、
おちんちんに、チューブ(くだ)をさす、そのままにすることで、
常時、おしっこが、ベット横のおしっこバックにたまる方法だ。
ちなみに、このバック、つけると、検査の時も診察の時もリハビリ時にも、
持って、歩かなければならない。
今は1人で杖があれば、行けるようになった。(2023年)
ハワイでの二軒目の家。古いコンド(マンション)だ。家の前には、道路があり、公園がある(芝生)。その先にビーチがあり、その向こうに海がある。最高のロケーションだ。(アラモアナショッピングセンターの隣)
ここの寝室で、ベッドの上に倒れた。
★コンド:コンドとは、コンドミニアムの略で、マンションの事。
倒れる前は、その芝生で、家族とピクニックランチをした。すごく楽しかった。
急性期の「緊急病院」に入院して、10日間、それから「リハビリ病院」に移って2週間。
あまりにも病院が辛かった。辛く苦しかった。
寒い、怖い、寂しい、苦しい、
大好きな映画も怖くて見れない、寝れない。毎日なんども睡眠薬をもらう羽目に。
そこで、早々にハワイの自宅に戻ってきた。
最愛で、信頼できる妻に会えたのが何より、心強かった。
その頃。
左手と左腕がまったく動かず、家の中でも車椅子での生活だった。
妻にソファに座らせてもらって、目の前のTVを見て
楽しんでいた。とても、孤独だ。辛い。
でも、みんな(家族)の期待に応えるために、必死で頑張っていた。
病院では、ベットに毎日寝ている生活だったが、
自宅では、「このままでは、寝たきりになる。」
という風に思い、毎日、無理矢理、車椅子に座っていた。
最初は、車椅子に座るのも辛かった。
ハワイの食卓テーブルの椅子に、車椅子から移る。
でも、左足だけじゃなく、右足までもが不安定なので、
その普通の椅子に、座るのが、怖かった。
椅子が信じられない。こける気がしていた。
そこで、恐々座っていた。
今思うと不思議だ。
この頃の左手と左腕は、全く動かず、肩からぶら下がっているだけ。
なぜか、あくびをすると、左腕が動く不思議な現象だった。
腕は重く、手をテーブルに乗せても、
ズリ落ちてしまう。
それが、悔しかった。
指も曲がり、手を洗うのも
顔を洗うのも不便だった。
寝る時も枕を腕の下に入れて寝ていた。
左手を右手で持っていた。
机の上に左手を置いても、重みでずれてきて落ちてしまう。
妻が「いつか治るよ」と言った。
私は「根拠がない」と、悔しいのと、後悔や、意味ない不安、将来の不安など計り知れない恐怖があり、
毎日、泣いていた。
その頃の友人とTV会議したら、「禅」の本を読んでみたら? と勧められた。
尊敬する「スティーブ・ジョブス」の禅の本を読んだ。「なぜジョブズは禅の生き方を選んだのか?」という書籍をKindleで読んだ。それで、前向きに考えれるようになった。
その本には、
「どんな状況に出会っても、それがきつくても、なんとか受け入れ、その時にできることをやり、できれば楽しむ。そんな自分づくりをすることだ。」
「今日が人生最後の日だとして、今日これからやることを本当にやりたいか? もし何日もの間、『ノー』という答えが続いた時は、何かを変えなければならない」
そして私は思った。「とにかく今を、精一杯、生きる」「今、できることをする」
今(2022年5月)では、妻の言う通り、左腕は、少し動き、左手でも物をつかめるようになった。(キーボードは打てないけど)、
どうして、妻は、そんなことをわかっていたのでしょうか。
この頃は、人が死ぬ、映画やドラマが、怖くて見れない。大好きな「007」や「メンタリスト」が見れなかった。
ハワイの自宅から見えていた夕焼け。今、見るととても綺麗だ。
でも、脳出血の後、ベランダで外を見た時は、
「この夕焼けだが感動しなかった。」
喜怒哀楽がなくなってしまった。
海に広がる夕焼けを見ても、ただの空と水たまりに見えていた。
リハビリのためのお出かけ。ハワイの公園を歩いたり、ビーチの歩道を歩いたりしていた。
うまく歩けないが車椅子を自分で押しながら歩くと進んだ、オリジナルのリハビリ。
振り返ると、脳出血前、私は、最愛の彼女と結婚もし、子供も生まれ、起業も成功し、教授にもなり、日本に家も買い、
家族で、楽しくハワイで生活をしていました。
息子は、ハワイで通常の学校に行き。サッカーで、ハワイで優勝したりしていました。
まさに、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)で、天国のような生活をしていました。
そんな時に、私は、突然、ハワイで、脳出血で、倒れました。
天国から地獄です。
英語ができない私は、ハワイでの病院やリハビリ病院で、地獄のような生活をしていました。
本当に辛かったです。今までの生活とのギャップから本当に地獄だった。
こんなところには、長くいられないと、早く退院し、ハワイの自宅に戻ってきた。
妻も息子もいる家で、少しは、落ち着きました。
しかし、全く気が晴れず、辛い辛い毎日を送っていました。
本当に毎日毎日、悔やんでいました。
そんな時、日本にいる「師匠」とハワイにいる僕とで、iPadでTV会議をしてもらいました。
僕は、思わず、涙を流し、泣いてしまいました。
このここの頃、本当に辛かったのです。
体もだけど、心が、悲鳴をあげていたのです。
そんな時に、師匠に「なくな〜」と、言われ、
「禅」を、教えてもらい
吹っ切れたのです。
泣いていた頃・・・(1年目)
【改善法:1】「禅」との出会い
そんな時、僕を救ってくれたのは、「禅」の書籍との出会いだ。
その書籍を数冊読むと、座ることはできないが、
考え方がわかり、生き方がわかった。
特に、「ジョブズの禅の本」だ。
彼は、
●今を生きろ!
●過去を悔やむな
●未来を心配するな
●今を楽しめ!
それで、僕は、泣くことは、なくなった。
確かに、脳出血や脳梗塞の改善法として、たくさんの書籍やホームページがある。
そこには、麻痺の改善など、体のことばかりで、宣伝や紹介も多い。
脳梗塞の者の心や、脳梗塞者の気持ちなど、精神状態や心のことは、一切載っていなかった。
そこで、現状、私が、わかることを書いてみた。(現在3年目)
<おすすめ本>
スティーブ・ジョブズの禅の本
●「なぜ、ジョブズは、善の生き方を選んだのか?」
ぜひ、読んでみてほしい。
脳梗塞の最善の解決方法がわかる。
病院から自宅ではケアギバー(ヘルパー)を雇うように言われた。妻がうちにきてケアしてくれる人を探してくれた。最初は外国人になる予定だったが友人の紹介で、日本人のケアギバーを紹介してくれた。彼女は毎日きて身体ケアやリハビリのサポートをしてくれた。素晴らしい人だった。友人には感謝しかない。
ケアギバーの彼女は歩けない私を抱えるようにして無理矢理歩かせた。すこしづつ杖にも慣れてきてなんとか歩けるようになってきたので、今度はマンションの隣のアラモアナショッピングセンターを歩かせた。車椅子を歩行器のようにつかんで歩く方法で。疲れたら車椅子に座われる。アラモアナショッピングセンターはトイレもエレベーターもあり、お店があり充実していた。コロナで観光客はいないので車椅子の私が歩くには最適な場所だった。
毎日、マンションの中庭を妻と杖で歩いていた。身体が動かなくなるのが心配だった。
すこしづつ歩数を伸ばして必死で歩いた。
最初は、風で、倒れそうになったけど、今はもう、大丈夫。
ようやく日本に帰ってきた。福岡の大濠公園の近くの自宅だ。
友だちがカッコイイ車椅子を見つけて教えてくれた。
その電動車椅子を借りた。
これで自分の好きなところに人の手を借りなくてもいける。
私は、「自由」を得た。
電動車椅子、介護保険で自己負担は毎月2700円。
これで、食事に行ったり、スーパーに行ったり、快適に移動できる。リハビリ時は、杖で歩く、外出は、電動車椅子。この組み合わせがいい。
自宅から徒歩5分の大濠公園のスタバに、電動車椅子で出かけてお茶をする。
この頃は、将来の不安もあり、一生懸命、仕事をしていた。
ハワイ大学でセミナーをしたり、日本の大学院でセミナーをしたり、友人の会社でセミナーをしたり、コンサルを行なったり、基本ZOOMだが、車椅子で会場でのリアルセミナーも行った。
しかし、それらは、過去に作った資料を使っていた。
<大好きなMacがつかない>(パソコン)
●過去の資料は使える。
●情報のインプットはできる
でも肝心のアウトプットやクリエイティブなこと、企画書を作ることができなかった。
●左手が使えないので、シフトが押せない
●Macは、使えなくて、iPadしか使えない。
●情報を集めることしかできない。それをまとめれない。
●資料が作れない
●企画書が作れない。(文字が打てない)
大好きなMacが使えない。
僕のアイデンティティで、最大の僕の武器のMacだったのに、使え無くなるなんて、両手をもがれた感じだ。
本当に悔しかった。
<会社退社・会社放棄>
私の全てをつぎ込んだ会社、自分で起業して育てた、自慢の会社から私は完全に引退した。役職も無くなった。
自分の事業からの撤退。自分の研究テーマからの撤退。自分の年収もなくなり、経費もなくなる。
もう私の会社じゃない。私の人生がなくなる。
元々、この会社が「生きがい」で、仕事が趣味だったのに、この時は、本当に辛かった。社会との接点がなくなった。すごく孤独だった。 この時「人生が終わった」。
⚫︎禅を勉強する :禅の本を読んで心が前向きになる
⚫︎書籍を動画で見る。:本が楽しく読めなかったので動画で見る。知恵と知識が増える。
⚫︎情報交換をする。 :脳梗塞先輩の話、僕は「脳梗塞経営者先輩の教え」心が楽になる。
⚫︎電動車椅子に乗る。:電動車椅子を手に入れてから自由に行動できるようになった。
<禅を勉強>
禅の本を読んで(iPadでKindleで電子書籍)で禅を理解する。
この本がおすすめ→「なせジョブズは禅の生き方を選んだのか」
心が前向きになる。
ーーー
過去を悔やむな
未来を心配するな
今を楽しめ! 今を生きろ!
ーーー
<ブッタの教えにもある>
⚫︎過去のことは「後悔しない」
⚫︎未来のことは「不安がらない」
⚫︎現在のことは「執着しない」
↓
【過去の後悔】あれはあれでよかった
【未来の不安】あとはなるようになる
【現在の執着】これでいいのだ!
<書籍と動画>
本を楽しく読めなかった、
漫画も楽しめかった。
そもそも片手でページはめくれない。
そこで、Youtube動画で、
「本要約」「本解説」で、本のダイジェスト動画を読む(見る)
ーーー
早く見れる
まとめてある
結論から聞ける
図や絵でわかりやすい。
ーーー
<情報交換>
とにかく、他の脳梗塞の人と話す。
「脳梗塞先輩の話」は、何かと役立つ。
僕は特に「脳梗塞経営者先輩の教え」に感銘した。
彼は、言った。
「脳梗塞は罰じゃなく、ギフトだ・ご褒美だ」
「脳梗塞は5年後に吹っ切れる」
<電動車椅子>
電動車椅子を手に入れてから自由になった。
どこにでも自由に行ける。
習い事もできるようになった。
僕は、「囲碁教室」に、行っている。
大学にもいける。
⚫︎ブラシ法
⚫︎マッサージ法
⚫︎手を広げる
⚫︎リゾートリハビリ
⚫︎短期集中リハビリ
<ブラシ法>
脳梗塞後、顔が痺れて、垂れていた。目も細く、活力がない。
「目力」がない。背中を洗う、ブラシで、顔を磨く、だんだん、痺れが薄れていく。
すると、顔がしっかりしていき、
目も大きくなり、
「目力」も出てくる。
次に痺れてるのは、手だ、まだ、お風呂も1人で入れないので、
ヘルパーさんに、手をブラシで、磨いてもらっている。
<マッサージ法>
ハンディマッサージ機で、硬い筋肉、
コブになっている筋肉などを、マッサージする。
うごかない指も、マッサージ機を当ててると、
だんだん、治ってくる。
上がらない腕の筋肉をマッサージするのもいい。
何より、「気持ちいい。」
<手を広げる>
手というより、指を広げる。
指は、だんだん、曲がってきて、
指が曲がってしまって、グーになってしまう。
その指を、机の上で、1本1本を広げていき、
机の上でパーになるようにする。
最初は、時間がかかるが、
だんだん早くなってくる。
<リゾートリハビリ>
病気や麻痺が治ってから、
旅行に行くのではなく、
治る前に旅行に行く!
もしくは、直す為に旅行に行く。
気持ち心と体をリフレッシュする。
<短期集中リハビリ>
リハビリ病院に入院する。、
例えば「因島医師会病院」(広島県尾道市因島中庄町)
ここには、全国から、脳梗塞患者が集う。
ここで、専門家の話を聞く、
また、多くの患者さんの話を聞く
以前のようにどこかに行きたい、と思っていたら友人家族が沖縄行きを計画していて、一緒にいくことになり飛行機に乗って旅行にいった。
以前のように身軽じゃない。でも友人も助けてくれた。
別の友人から沖縄で介護施設を営む方を紹介された。彼らは一人でプールに入れない僕を海の見えるプールに連れて行ってくれた。青空の下、最高だった。まだ、お風呂にも入れない僕を海の見えるリゾートプールで泳がせてくれた。介護浴と、いうそうだ。「泳いだというより、浮かんでいて、引っ張られていた。」(笑)
リゾートリハビリ。障害を持つ方が楽しめる旅行を作ったら? ビジネスの発想もでてくる。
理学療法士(リハビリ)の方と大濠公園を杖で歩く様子。
脳出血からまもなく2年(2022年3月)
リハビリを頑張っているものの、顕著な改善はなく
「再生医療」に取り組むことにした。
再生医療には、いくつかの種類があり、
私が調べたのは「幹細胞」方式と、「サイトカインカクテル」方式
両方の話を聞きに行った。
<再生医療(幹細胞)>
自分の脂肪をとる(オペが必要)
培養期間が必要(1ヶ月ほど)
金額が、一回300万円ほど。
効果を出すためには、3回程度行う必要がある(金額は全部で600万円から900万円)
皮膚注射、点滴が必要。
改善された人の割合は? 回答なし グラフなし。(怪しい)
<再生医療(サイトカインカクテル法)>
人の細胞ではなくタンパク質を使う(オペがいらない)
細胞の培養期間がない。申込んでスグにできる
金額は一回10万円ほど(安い)
効果を出すために10回ほど行う。(金額は全部で80万円から100万円)
点鼻薬方式(鼻の中に霧状を噴射する)
改善を認められる割合は70% グラフあり。
必ずしも病院に行かなくてよい。(完全自宅療養の方もできる)
私は、「サイトカインカクテル法」を選んだ。
オペ無しで、安くて、早くて、効果がありそうだと思った。
2週間に1回のペースで10回の点鼻。
ただ、この再生医療は、魔法ではなく、「リハビリ」が重要になる。そこで集中して、リハビリをすることにした。
特に、足首が動かないので、「リゲイト」という脳卒中の後遺障害のある方向けに開発された歩行補助の装置があり、この機器を使うのが有効だとわかった。
調べたところ、広島県尾道市の因島にある因島医師会病院が
広島大学と共同で研究をしていることがわかった。
そこで病院に連絡をとり、2ヶ月間の入院してのリハビリを
行うことになった。
結果:僕には、サイトカインの効果は、なかった。
この病気は辛い。頑張っても、スグには治らない。
会社を経営しているときには、仕組み化、効率化、スピードアップ化、を行なっていた。
しかし、この病気は、何度も同じことをしなければならない。そこが辛い。時間が必要で、画期的な方法もない。ただ、同じことを何度も繰り返す。近道はない。時間が必要。
再生医療が治療中で、その点鼻を、入院先の病院でもする必要があり病院側との調整があって難しそうだったが、受け入れてもらえた。そして、再生医療には、必ず、リハビリが必要で、そこで、リゲイトを知り、そのリハビリをしに、広島の近くの因島医師会病院に2ヶ月の入院。僕は、リゲイトで足を強化するつもりだった。
入院してみると、リゲイトだけでなくリハビリの内容がとても充実していた。
<入院前>
リゲイトが、週に一回ほどできる。と、思っていた。
<入院中>
リハビリは、
毎日、STのリハビリが1時間あり、測定器で、調べながら舌圧訓練ができる。
毎日、足のリハビリも1時間あり、毎日リゲイトがあり、川平法と両方してくれる。
毎日、手のリハビリが1時間あり、川平法(+低周波)をしてくれる。
結局、毎日、3時間のリハビリ、と自習リハビリ。
毎朝、自動の指の伸ばし器で自主練習も2時間していた。(毎日指3000回)
夜練(毎晩、脳梗塞仲間で、800歩、歩いていた)
夜MTG(夜、脳梗塞仲間でテーマを決めて情報交換:TMS・ボトックス・再生医療)
行く前の10倍のイメージだ。仲間もできた。
このリハビリ病院、もし、コロナがなければ、
リゾート的なリハビリを行うらしく、
海辺のデッキを歩いたり、橋を歩いたりすることもできるらしい・・
また現地で、ラーメンやお寿司食べに行けて、カフェにも行けるらしい・・・・
そうなれば、年に、一回入院してもいいかも・・・ね!
因島医師会病院の良い所は、自然がたくさんあるところです。
以前は、コロナがない時は、外で食事をしたり、リハビリを
したりと聞きました。
そこで、僕たちも特別に許可をもらい外に連れ出してもらい。リハビリをしてもらいました。こんな感じです。
因島の海辺にあるおしゃれなカフェ。その全景とその前で、写真を
パチリ。
家族や友人と行った、いちご狩り
【ラストスパート】「短期集中リハビリ」
結局私は、脳出血患者として、最後の集中リハビリをおこなった。
再生医療とリハビリ病院の入院した。
「短期集中」で、治るのか、入院して、実験中。
今できることは、全て行う。(再生医療とリハビリ病院の入院)
これで、飛躍的に治り、効果があれば、入院もありということだ。
あまり効果がなければ、「短期集中」ではなく、「じっくり型」として、地道にリハビリをしていく。
退院後、「短期集中」では、効果はあるが、ゆっくりと言うことが判明した。そこで、「じっくり型」に気持ちを切り替え、自宅に帰って、人生を楽しむことにした。
もちろん、今も、夜練は続けている。
脳出血で倒れて3年目(2023年)
リハビリ病院施設で脳梗塞の先輩との出会い。
が、ありました。
ちょうど、同じ経営者で共感できました。
その時に、いろんな事をおしえてもらいました。
【改善法;2】とにかく5年を待て
脳梗塞先輩が、言っていました。
「君は、まだ3年目だろ〜。それではまだ、クヨクヨするよ。」
彼が言うには、
「5年経つと、脳梗塞に慣れて、吹っ切れる。」
との事。
僕は、そんな時代が来るのかと逆に楽しみになりました。
また、その頃、僕は、「マインドフルネス」に目覚めました。
これで、すごく、落ち着いた。
「マインドフルネス」は、「禅」の延長上にある。
【改善方:3】これはギフトだ。
僕の嘆きを彼にぶつけてみた。
「僕は、経営者で、ハードワークで、高血圧だった。」
だからこんな目にあったんだ。
すると、彼が、「それは違う。」
「脳梗塞や脳出血は、なんでもない人もなる。」
だから、理由は、わからないけど・・・
今回のことは、ギフトだ。
「今まで沢山働いたので、休んでいいよ」
と、言うメッセージだ。
「だから気にすることはない。」
「ゆっくり休め」
この言葉に、すごく救われた。
【改善法:4】リハビリ旅行に行け。
脳梗塞先輩の方から言われた。
「脳梗塞が治ったら、旅行に行く。」のではなく。
今、「気晴らしに旅行に行く」、
もしくは、「リハビリをしに、旅行に行く。」
脳梗塞が治る前に行く、のが、お勧めだそうです。
と、いうことで、「リハビリ旅行」
僕は、沖縄、大阪、ハワイと、様々なところに行った。
「脳梗塞の先輩」から教えたもらった。
旅行は、「体が治ってから、旅行に行く」のではなく、
「心と体を、癒すためにリハビリ中の体で、旅行に行く」。
そう、「リハビリ旅行」だ。
そうて、今スグに行く。
と、言うことで、
ハワイに、1ヶ月間、行ってきました。
ハワイは、法律で、全ての施設が、バリアフリーになっていて、
電動車椅子で快適でした。
車椅子の人も多く、
人々も差別もなく、親切で、優しかったです。
バー好きの僕、ワイキキに宿泊し、
ハレクラニのバーや
ロイヤルハワイアンホテルの「マイダイバー」は、
最高でした。
2023年4月9日に誕生日を迎えて、
無事、元気に、59歳になりました。
ちょうど春なので、桜が満開です。
まだ、麻痺はあるけど、
辛いけど、がんばります。
脳梗塞患者:覚田義明 2023年4月9日
3年目になって、
私は、少し元気になってきました。
それは、心とお金の余裕からです。
(2023年7月7日)
そんな、私の人生を変えた。書籍たち3選です。(2023年7月7日)
しかし、私は、脳出血で片麻痺で、紙の書籍が読めません。
そこで、電子書籍やYouTubeでまとめ動画を読んでいます。
少し元気になったのは、この3冊の書籍のおかげです。
●【禅】なせジョブズは禅の生き方を選んだのか?<キンドル:電子書籍>
●【投資】ジェイソン流お金の増やし方。<中田敦彦(FIRE済):動画>
https://youtu.be/7QqqQWZYzhs
●【終活】DIE WITH ZERO<本要約チャンネル:動画>
https://youtu.be/33u4MVVfftI
ようやく少し元気になってきた。
心も体も・・・
そんな時に、妻から言われた。
「大学でも行ってみたら?」
と、いう、一言で、福岡の西新に引っ越した。
引越ししてみると、そこには自由があった。
電動車椅子で、自由に動け、視野が広がり・・・
西新に詳しくなって、新たなものも見つかった。
●西南大学の学生になった→街で会うバイト学生と盛り上がる。
●郵便局も近い→お金の出し入れも自分で、できる。
●囲碁教室に行く→囲碁は面白い。宇宙を感じる。脳にもいい。
●子供食堂に行く→交流だけじゃなく、運営に携われそう。
●大学施設も使える→おしゃれな図書館、電源もWi-Fiもある。学食も美味しい。
●カフェにも行ける→おしゃれなカフェも楽しい。
●コンビニも近い→コンビニで気軽にお買い物。
●100円ショップも近い→安くてなんでも揃う罪悪感がない。
●サニーも近くにある→なんでも食べたいものが揃う。
●紅葉神社公園→公園でもある神社、気持ちいい。
●自宅にオフィスもできた→会議もいい感じにできる。
●福岡市博物館も行ける→ナント障害者ということで無料で入れる。
●自宅にゲストルームもできた→友人もいつでも泊まりに来れる。
●西新は飲食も豊富→イタリアン、焼き鳥、カレーなんでもある、美味しくて安い。
●大好きなカレーも→ランキングが作れるようになった。
●大好きな寿司→いつでも食べれる。
●西新はお酒も飲める→美味しく朝までやっている店もある。
●電車に乗れる→駅まで電動車椅子で行けて、どこでも行ける。
●リッツカールトンにも行ける→ラグジュアリーなホテルにも行ける。
●リッツのバーにも行ける→オーセンティックなバーにも行ける。
●なぜか、映画も楽しめるようになった。→大好きな007も楽しめるようになった。
★Macも使えるようになった→スゴイマウスを手にいれ、Macも使えるようになった。
★とにかく自由になった→羽をもらった気分だ。
会社「ペンシル」を売却しました。完全にノータッチです。現在フリーです。
それから、古い投資法ではない、最新の投資運用を勉強し、研究し、
実際に投資してみて、分析する。の実験をくりかえしました。
また、既にFIRE(ファイヤー)の方をメンターにし、
リバランス(リアロケーション)をし、最高と思う投資運用を行っています。
おかげで現在は、投資運用でFIREを達成し、不労所得で生活しています。
おかげで、投資運用に詳しくなりました。
脳出血で、記憶が、少し飛んでいて、
復活させたいです。
脳のリハビリにもいいです。
福岡西新なら電動車椅子で、どこにでも、行けます。
ただし、晴れの日だけです。
電動車椅子は、雨に弱いのです。
杖で、少しなら(10m)、歩けます。
階段は登れません。
段差なら数段は、上れます。
なので、一階のお店がいいです。
どこにでも、行けます。
高い、ハイチェアーは、
難しいけど、
テーブルなら、大丈夫。
座ってしまえば、
昔と何も変わりません。
2〜3時間大丈夫です。
飲むのと食べるの大好き。
何でも、食べれます。
美味しいものが大好きです。
お酒も飲めます。
だたし、ワサビとカラシが食べれません。
これは、倒れる前からです。
記憶も昔のまま
人との会話が聞けて、しやべれて、以前と何も変わりません。
ぜひ、お気軽に、お誘いください。
福岡西新で飲みましょう!!
残念ながら雨の日は、突然中止ですね。
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